寒い日が続いてますが、そんな時はやっぱり温泉に入りたいですよね。
今回の『セピア色の写真が語る』は宝塚の温泉に関する歴史についてご紹介します。 温泉の町として発展してきた宝塚。黎明期を経た大正時代には、新旧二つの温泉があったのだという。


「新旧温泉の発展が宝塚市の礎に」 

ひなびた風情から大人の社交場へ
近代、宝塚に温泉が掘られたのは明治19年のこと。武庫川の右岸、今の「ホテル若水」のあたりだったと言われている。翌20年、温泉は完成したものの、当時はまだ鉄道もなく、ひなびた雰囲気が漂っていたという。宝塚温泉が発展していくのは明治30年、阪鶴鉄道(今のJR)宝塚駅ができ、さらに明治43年、箕面有馬電気鉄道(今の阪急電車)が設立され、電車が走り出してからのことだ。由緒ある温泉として、芸妓置屋などもあり、いわゆる大人のための社交場として評判を呼んだ。

20081117115649_00001
旧温泉全景(大正6年)

20081118120605_00001
新温泉場大理石浴室


ハイカラな新温泉とともに発展
一方、対岸は閑静な松林が続く河原に過ぎなかったが、箕面有馬電気鉄道は乗客数を増やすため、明治44年、ここに新しい家族温泉を建設した。当時としてはハイカラな洋風で、大浴場は大理石の瀟洒な造り、川を眺めながら涼める納涼台のほか、パラダイスと称する珍しい娯楽場もあり、当時は東洋一の浴場とも称された。さらに大正2年には宝塚歌劇の前身である宝塚唱歌隊が誕生。家族で温泉に浸かり、観劇などのレジャーを楽しむというスタイルが人気を呼んだ。 武庫川の両岸に温泉ができたことで、右岸側は旧温泉、左岸側は新温泉と呼ばれるようになった。両者は、それぞれ棲み分けをしつつも競い合い、あるいは手を携えつつ発展していったのである。川をはさんで新旧二つの温泉の繁栄は、戦後の宝塚市誕生にも大きな役割を果たした。当時旧温泉側は川辺郡宝塚町、新温泉側は武庫郡良元村と、別々の郡だったのだ。それが住民投票などを経て合併し、昭和29年、宝塚市が誕生したのである。温泉の発展が両岸を結びつけ、今の宝塚市の礎を築いたといえる。

20081117115524_00001
モダンな外観の宝塚新温泉


写真は「宝塚温泉物語」(宝塚市)より転載

ComiPa! Vol.16(2008年夏発行号)より】