宝塚の情報を発信するコミパ!編集室です。

今月から弊社で発行している地域コミュニティ情報誌ComiPa!(コミパ!)の人気コーナー『セピア色の写真が語る』をシリーズ化してご紹介していきたいと思います。

第1回目はComiPa! Vol.36に掲載した「武庫川の歴史をひも解く」。宝塚の中心を流れる武庫川の歴史と河川での健康&リフレッシュについてです。


「武庫川の歴史をひも解く」

かつては伊孑志に渡し舟が
武庫川は、篠山市の愛宕山付近の沢を源流とし、宝塚を経て大阪湾に注ぐ二級河川。総延長は約69キロメートルあり、宝塚市内に入ると川幅は広くなり、流れもゆるやかになっています。
明治になるまで市域の武庫川には橋がなく、西宮街道が武庫川を越えるところには「伊孑志の渡し」と呼ばれる渡し舟がありました。当時は、川幅約150メートルをこの船で渡るか、浅瀬を歩いて渡っていたとのこと。現在の末広小学校と美座小学校のあたりで、この渡しは大正の頃まで残っていたそうです。
また、武庫川は台風などによる大雨で、しばしば洪水などの被害をもたらすこともありました。昭和13年の梅雨前線、昭和20年の阿久根台風、昭和32年の台風5号などでは、宝塚市内でも家屋の倒壊や浸水、田畑の冠水など大きな被害を受けました。
こうした災害などの経験を踏まえて治水事業も行われ、河口から潮止堰までは堤防の嵩上げを行う、また河床掘削で河積拡大をするなどの整備が進められています。

伊孑志の渡し(当時)の絵図
セピア伊孑志の渡し


美しい観光噴水と市民ランナー
現在、生瀬から武田尾にかけての武庫川峡谷には、豊かな自然が残されてレクリエーションゾーンとなっているほか、宝来橋下流では観光噴水が美しい川景色に彩りを添えています。現在の噴水は阪神・淡路大震災で倒壊した後、平成13年に復旧したものですが、昭和39年の設置当初は貸しボートなどもあり、多くの人々に親しまれて賑わっていたそうです。

貸しボートなどで賑わった観光噴水
セピア武庫川観光ダム

また、宝塚市役所付近の武庫川河川敷は広々としていて、フリーマーケットなどのイベント会場となるほか、格好の散歩・ジョギングコースになっています。
この河川敷は、2005年から開催されている宝塚市ハーフマラソン大会のコースにもなっており、毎年、大勢の市民ランナーが河川敷を駆け抜けて行きます。

【ComiPa! Vol.36(2013年秋発行号)より】