ゴールデンウィーク真っ只中ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
電車でお出かけする方も多いのでは?

今回の『セピア色の写真が語る』は『阪急電車』の今津線ついてご紹介します。


「『阪急電車』今津線の昔といま」

宝塚市民の足として親しまれている阪急電車。その歴史から、沿線の発展の様子が見えてきます。


西宝線から今津線へ 
阪急電鉄の前進は、小林一三氏が創業した箕面有馬電気軌道です。明治43(1910)年3月に梅田〜宝塚間、石橋〜箕面間の営業が開始。大正9(1920)年に梅田〜神戸(上筒井)間と塚口〜伊丹間が、翌年には西宮北口〜宝塚間(西宝線)が開通しました。さらに大正15(1926)年には西宮北口〜今津間が延伸され、西宝線は今津線と改称されました。同じ頃、宝塚の観光開発などにも積極的に取り組み、明治44(1911)年には宝塚新温泉を開場。続いて宝塚歌劇団の先駈けとなる「宝塚歌唱隊」が発足、大正3(1914)年には宝塚歌劇の第一回公園が催されました。

②開通した西宝線の甲東園駅付近<朝日新聞社提供>
開通した西宝線、甲東園駅付近〈朝日新聞社提供〉(1921.9.2)

より安全・便利な市民の足として 
第二次世界大戦後、高度経済成長期に入ると、輸送力増強と混雑緩和のため、梅田〜十三間の三複線化、千里ニュータウンへの延伸など大規模なプロジェクトが相次ぎました。また昭和48(1973)年には、社名を阪急電鉄に変更。長い間親しまれてきた「阪急」の名称が、正式社名となりました。
また、西宮北口駅は、高速鉄道では全国で唯一のダイヤモンドクロス(平面交差)として、多くの鉄道ファンにも愛されてきましたが、昭和59(1984)年3月に撤去。駅舎は橋上化され、今津線は現在の今津北線・今津南線の形に分断、神戸本線では10両編成の運転が始まりました。
その後、阪急西宮球場を本拠地としてきた阪急ブレーブス球団の譲渡、阪神・淡路大震災を経て、球場跡地には平成20(2008)年11月、「阪急西宮ガーデンズ」がオープン。今も昔も、阪急マルーンの電車は、市民の足として親しまれ、愛されています。

③西宮北口駅平面交差(ダイヤモンドクロス)
西宮北口駅平面交差(1932)

⑤西宮球場開場(1937年5月1日)
かつて多くの野球ファンを魅了した阪急西宮球場


【ComiPa! Vol.25(2011年春発行号)より】